元阪急・熊野輝光氏、ロス五輪野球日本代表主将を務める
元阪急の新人王外野手である熊野輝光氏は、1984 年のロサンゼルス五輪金メダリストでもある。

元阪急・熊野輝光氏、ロス五輪野球日本代表の主将を務める オリックスや巨人で活躍した熊野輝光氏【写真:山口真司】 元阪急の新人王外野手・熊野輝光氏(四国 IL・香川オリーブガイナーズ監督)は 1984 年のロサンゼルス五輪金メダリストでもある。社会人野球・日本楽器(現ヤマハ)時代に社会人と大学生の混合チームの野球日本代表に選出され、主将を務めた。日本代表の松永怜一監督にはよく怒られたという。「何かミスが出たら『お前が悪い、キャプテンのお前がちゃんとしていないからだ』って言われました」。出発前の合宿から「もうがんじがらめでした」と笑いながら話した。 【画像】衝撃のパンツ姿で始球式に登場 ファン騒然の“豪快投球” ロス五輪で野球は正式競技ではなく、公開競技で開催された。日本は五輪前年の 1983 年に行われたアジア予選の代表決定戦で台湾代表エースの郭泰源投手(元西武)に打線が完封されて敗戦。出場権を逃していたが、その後、ロス五輪ボイコットのソ連にキューバが同調して不参加となり、その代わりに日本が追加出場となった。熊野氏はアジア予選の日本代表メンバーではなかったが、新たにチームを編成した五輪の代表メンバーに選出された。 「日本は台湾に負けて(代表)メンバーを若返らせましょうとなったんですけど、若いのだけでも困るので、過去に全日本を経験したこともあって、僕と東芝の福本(勝幸内野手)が最年長(27 歳)で入ったんです」。当初は 1984 年 5 月のキューバとの国際野球大会のために選出された日本代表だったが、五輪出場が決まり、大学生との混合チームをさらに編成。“社会人ベテラン組”の熊野氏と福本内野手はそこにも残った。 熊野氏は五輪日本代表主将にも任命された。「監督の松永怜一さんにはめっちゃ怒られたけど、本当にお世話になりましたね。松永さんも恩師です。厳しさとかも教えてもらいました。何かあったら『キャプテンのお前が悪い、お前がちゃんとしていないからだ!』と言われて『はい!』とか言ってね……。とんでもなかったですけどね、あの息苦しさは。でも、あとあと考えたら、すごくいい経験だったなって思いますね」。 ロス五輪の野球日本代表は米国出発前に社会人選出メンバーだけで合宿を行った。「(明大の)広沢(克己内野手、元ヤクルト、巨人、阪神)とか学生は日米大学野球でアメリカに行っていて、向こうで合流したんじゃなかったかな。だから社会人だけだったと思う」。この時の練習がハードだったそうだ。「野球に対する姿勢が松永さんは誰よりもすごかったですからね。朝は出発前のミーティング、練習が終わって、夜の食事後にミーティングをやって、また練習とか……」。
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