台湾から早稲田へやってきた 4 年生右腕、次なる夢は整形外科医「日本と台湾の野球の架け橋になりたい」
早稲田大学の台湾人留学生、黄鼎仁が神宮球場のマウンドに立った。彼は日本と台湾の野球の架け橋になりたいと語っている。

台湾から早稲田大学にやってきた右腕・黄鼎仁(提供・早稲田大学野球部)
昨年の東京六大学野球リーグで春秋連覇を達成した早稲田大学で、一人の台湾人留学生が目標だった神宮球場のマウンドに上がった。「本当に楽しかったです。頭の中が真っ白になるぐらい集中していたけど、仲間の声は聞こえました」。卒業を間近に控えた黄鼎仁(ファン・ディンレン、4 年、新竹)はあの日を振り返る。
ずっと神宮のマウンドをイメージして練習してきた
秋季リーグの開幕戦となった昨年 9 月 14 日の東京大学 1 回戦。黄は 13 点リードの八回にマウンドへ。先頭打者に左前安打を打たれたが、後続を二塁ゴロ併殺と二塁ゴロに打ち取った。「ずっと神宮球場のマウンドをイメージして練習してきました。うれしかったです」。13 球の神宮デビューを果たすと、大きな目を輝かせながら、そう語った。
台湾の北部、台北市に近い新竹市で生まれ育った
台湾の北部、台北市に近い新竹市で生まれ育った。野球が大好きで、同市にある新竹高校でもプレーしたが、「台湾の中で 2 部みたいなレベルだった。だから、大学は強いところで野球がしたかった」という。
黄の 1 学年上から、新竹高校に早稲田大学へと進学できる海外指定校推薦制度が始まった
黄の 1 学年上から、新竹高校に早稲田大学へと進学できる海外指定校推薦制度が始まった。「高校では、すごく勉強に時間を使いました。学校から推薦してもらえるように頑張らなければいけなかったから」
高校を卒業した 2020 年 9 月に早稲田大学国際教養学部へ進学
そのかいがあって高校を卒業した 2020 年 9 月に早稲田大学国際教養学部へ進学。ところが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大があったため、日本に来ることができなかった。
ようやく来日できたのは 2 年生になった 2022 年春
ようやく来日できたのは 2 年生になった 2022 年春。野球部のグラウンドがある西東京市東伏見に住み、新宿区にある早稲田キャンパスへ通いながら、野球部の練習にも参加した。国際教養学部の授業はすべて英語。「日本語は全然しゃべれなかったので、大学から勉強しました」というが、日常生活に支障はない。
「運が良くて、みんな自分とよく話してくれる。いい人ばかりです」と仲間に感謝する
「運が良くて、みんな自分とよく話してくれる。いい人ばかりです」と仲間に感謝する。とくに同級生で学生コーチの石原壮大さん(日大習志野)、1 学年先輩の学生コーチだった藤原尚哉さん(早大本庄)は英語が得意だったこともあり、よく面倒をみてくれたという。
「日本で野球をやって、野球の友だちをつくりたい」
「日本で野球をやって、野球の友だちをつくりたい」。そんな思いで来日し、目標を達成した 3 年間でもあった。
「練習は大変でした。野球だけじゃなく、生活も勉強も、やることが多くて……。一つでも良くないと、全部がうまくいかない。だから一日中、リラックスできる時間はあまりなかった感じがします」
「練習は大変でした。野球だけじゃなく、生活も勉強も、やることが多くて……。一つでも良くないと、全部がうまくいかない。だから一日中、リラックスできる時間はあまりなかった感じがします」。自炊もがんばった。活躍したのが台湾から持ってきた大同電鍋(タートン)だ。ご飯とお肉、野菜を入れた料理をよくつくった。もちろん、外食も活用した。「成田屋にお世話になりました」。東伏見駅近くにある野球部も御用達の定食屋だ。麻婆ナス定食をよく食べたという。