江良楓、新たなる挑戦──悔しさを原動力に
ライオンファングスの SO 江良楓は、企業で働きながらプレーを続ける選択をした。名門・大阪桐蔭から立命館大学へと進学し、2023 年にライオンハイジーン株式会社に入社。かつて花園を沸かせたゲームメーカーは、新たなフィールドでどんな挑戦をしているのか。その裏にある思いを探る。


挫折を味わいながらも前に進む
江良楓は大阪桐蔭でプレーしていた父の影響で 4 歳の時に楕円と出会う。 小学 2 年の時に東大阪ラグビースクールに転籍。中学は地元の枚岡中学へと進んだ。 高校は強豪校に行きたくて。その中で大阪桐蔭が一番早く声をかけてくれました。昔から父と一緒に試合も見ていたので、白のジャージに袖を通すんだって、何となく決めてたのかもしれません。 最終学年として迎えた第 97 回大会の花園では大阪桐蔭初の優勝を目指し、決勝戦に臨んだ。 相手は同じく大阪府代表の東海大仰星(当時)。19 年ぶりの大阪代表同士の決勝戦である。 結果は逆転を許し敗戦。スコアは 20-27。花園の決勝戦史に残る好ゲームであった。 両チームのメンバーは実に豪華だ。大阪桐蔭にはキャプテン上山黎哉 (現・花園近鉄ライナーズ)をはじめ、高本幹也(現・東京サントリーサンゴリアス)、松山千大、奥井章仁(以上現・トヨタヴェルブリッツ)、対する仰星には長田智希(元・埼玉パナソニックワイルドナイツ)、河瀬諒介(現・東京サントリーサンゴリアス)など、リーグワンで活躍する錚々たるメンバーが名を連ねる。 大学は立命館に進学。同期には木田晴斗(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)や宮下大輝(現・花園近鉄ライナーズ)など、これまたリーグワンで活躍する選手が近くにいた。 ラグビーの街、東大阪で育ち、世代トップクラスのプレーヤー達と切磋琢磨してきた江良がプロとしてのキャリアを志すのはごく自然な事だったのだろう。 しかし、その願いを果たすことは出来なかった。 自分はどうしてもプロになりたくて。でもどこからも声が掛からず 4 回生の時はトライアウトを受けまくってました。 ちょうどコロナ禍であり、多くの制限がある中でのチャレンジだった。 リーグ戦の結果は 5 位。大学選手権出場を逃し、大学最後のシーズンを終えた。