F1史上最も物議を醸した衝突シーンを徹底解説!
F1の歴史に残る物議を醸した衝突シーンを詳しく解説。セナ、シューマッハー、プロストらの激しいバトルを振り返る。

1975年モナコGP:ハントVSデュパイエ
モナコでのオーバーテイクの難しさは最近も話題となったが、50年前のレースでもそれは同じであった。このレースでは、64周目のミラボーでティレルのパトリック・デュパイエがヘスケスのジェームズ・ハントのインに果敢に飛び込んだ結果、ハントのマシンは行き場を失いバリアにクラッシュした。
1982年ドイツGP:ピケVSサラザール
ホッケンハイムでのネルソン・ピケとエリセオ・サラザールの接触は、1988年イタリアGP終盤で起こったアイルトン・セナとジャン-ルイ・シュレッサーとの接触と似たものがある。マクラーレン・ホンダの全勝が周回遅れのマシンによって止められたという後者のアクシデントも有名だが、前者は接触後の顛末も含めて語り草となっているため、今回はこちらを紹介する。
1987年ベルギーGP:マンセルVSセナ
前年にはウイリアムズのピケとナイジェル・マンセル、そしてマクラーレンのアラン・プロストによる三つ巴のタイトル争いが繰り広げられたが、惜しくも王座を逃したマンセルの傷は癒えていなかった。そんな中で迎えた第3戦のベルギーGPで、マンセルはロータスのアイルトン・セナと首位を争う中で接触。マンセルは怒り狂った。
1989年日本GP:セナVSプロスト
あまりにも有名な“セナプロ”の接触の第一幕。当時、マクラーレン・ホンダでタイトルを争っていたセナとプロストのライバル関係は既に激化しており、プロストは翌年のフェラーリ移籍を決断すると、イタリアGPでは表彰台で優勝トロフィーを観衆に投げ渡してロン・デニス代表を怒らせるなど、チームとの関係は冷え切っていた。
1990年日本GP:セナVSプロスト
歴史に残る接触は2年連続で起きた。この年も鈴鹿がタイトル決定戦となったが、今度はセナがフェラーリのプロストをリードしている状態だった。ポールポジションのグリッド位置を巡ってレース前から一悶着あったが、結局スタートでは2番グリッドながらクリーンなレコードライン側から発進できたプロストが好スタート。しかしセナは1コーナーでプロストに突っ込み、両者リタイア。セナのチャンピオンが決まった。
1992年フランスGP:シューマッハーVSセナ
1992年のフランスGPのスタート直後には、アデレードペアピンで当時フル参戦1年目だったミハエル・シューマッハーがセナに突っ込み、セナはリタイアに追い込まれた。その後レースは赤旗中断となったが、レーシングスーツから私服のセーターに着替えたセナはグリッドでシューマッハーを呼び出し、“ドライビング・レッスン”という名の厳しい説教をした。
1994年オーストラリアGP:シューマッハーVSヒル
この年のF1を席巻したベネトンのシューマッハーの初戴冠は、後味の悪い幕切れを迎えた。度重なる失格や出場停止によって、ウイリアムズのデイモン・ヒルをわずか1ポイントリードした状態で最終戦を迎えたシューマッハー。そこで彼は36周目のターン5でウォールに軽くヒットしてしまい、ダメージを負ったところにヒルが迫ってきた。