長嶋茂雄の執念と松本匡史の強行指名:プロ野球史に刻まれた瞬間
長嶋茂雄氏の執念と松本匡史の強行指名を振り返り、プロ野球史に残る瞬間を解説。

長嶋茂雄の執念
巨人軍の終身名誉監督である長嶋茂雄氏(享年89)の死去から一夜明けた4日、故人とゆかりのある静岡県内関係者からも悼む声が届いた。第2次長嶋政権の1995年から巨人の編成本部長補佐兼2軍統括ディレクターを務めた石山建一氏(82)は、スポーツ報知の取材に応じ「テレビで見て知った。ビックリした」と肩を落とした。
石山建一のキャリア
石山氏は静岡高時代に遊撃手として活躍し、1960年夏の甲子園で準優勝。早大から日本石油(現ENEOS)に進み、現役引退後は早大や社会人のプリンスホテルで監督を務めた。アマチュア球界で実績を残していた石山氏をプロの世界に引き込んだのが長嶋氏だった。「ぜひファームの選手を育ててほしい」と声をかけられて転身を決意した。
松本匡史の強行指名
石山氏と長嶋氏の一番の思い出は、石山氏が早大の監督だった1976年ドラフト前のこと。当時早大4年で社会人チーム入りが内定していた松本匡史(70)=現玉川大監督=を「どうしても欲しい」と話していたという。当時松本は肩を脱臼しており社会人行きの決意は固かったが、ドラフト5位で強行指名し、入団にこぎつけた。松本は巨人で2度の盗塁王に輝くなど「青い稲妻」の愛称で活躍した。
長嶋氏の執念
「スカウトの誰もが『(指名しても)無理です』という中、長嶋さんが推したようです。巨人を強くするために、欲しい選手は取るという執念はすごかった」と、石山氏は懐かしそうに当時を振り返った。
報知新聞社の視点
報知新聞社の塩沢武士記者は、このエピソードを「プロ野球史に残る瞬間」と評している。長嶋氏の執念と松本氏の活躍は、巨人軍の歴史に深く刻まれた。