長嶋茂雄のベース踏み忘れ事件:プロ野球界の伝説的プレイを振り返る
長嶋茂雄のプロ野球界での伝説的なベース踏み忘れ事件を振り返り、その影響と彼のキャリアに与えた意義を探ります。

長嶋茂雄のベース踏み忘れ事件
長嶋茂雄さんは、プロ野球界において数々の伝説を残しましたが、その中でも特に有名なのがベース踏み忘れ事件です。1971年6月24日の大洋戦では、長嶋さんが相手走者のベース踏み忘れを見逃さず、アピールアウトを取ったことで知られています。
1971年大洋戦の詳細
1点を追う大洋は6回、先頭の大橋勲が四球で出塁し、代走・飯塚佳寛が起用されました。飯塚は送りバントで二進し、次打者・中塚政幸の中前安打で生還。1対1の同点になったかに思われました。しかし、長嶋さんが「飯塚の右足が三塁ベースから10センチも離れてまたいでいった」とアピールしたことから、手沢庄司三塁塁審はアウトを宣告しました。
長嶋茂雄のプレイの意義
長嶋さんはこのプレイについて、「オレもやったことがあるから、簡単にごまかされんよ。ホームランならバッターの仁義で知らん顔してやるが、あの場面でタイムリーじゃ、そうもできん。だから、“こういうこともあるさ”と(飯塚を)慰めてやったんだ」と語っています。このプレイは、彼のキャリアの中で重要な位置を占め、プロ野球界に大きな影響を与えました。
その他のベース踏み忘れ事件
長嶋さんは、1959年4月22日の大洋戦(富山)でも、右中間三塁打を放った岡田守雄の一塁ベース踏み忘れを三塁から目撃してアピールアウトに取り、1964年4月30日の大洋戦(川崎)では、伊藤勲の右前安打で生還した二塁走者・森徹の三塁ベース踏み忘れをアピールアウトにしています。
これらのプレイは、長嶋さんのプロ野球界での地位を確固たるものにし、彼の伝説をさらに深めることになりました。