侍ジャパン、度重なる不祥事を乗り越えてナショナルパスタイムに
侍ジャパンは度重なる不祥事を乗り越え、台湾プロ野球リーグで人気を博している。

侍ジャパン、度重なる不祥事を乗り越えてナショナルパスタイムに
台湾プロ野球(CPBL=中華職業棒級大連盟)は、1990 年からリーグ戦が始まった。日本プロ野球(NPB)、韓国プロ野球(KBO)に続き、アジアで 3 番目のプロ野球トップリーグとなった。
嘉義農林の活躍
1931 年夏、第 9 回の台湾全島大会を制した嘉義農林は、夏の甲子園に初出場し、2 回戦で神奈川商工を 3-0、準々決勝で札幌商を 19-7、準決勝で小倉工を 10-2 で下し、台湾勢としては初めて決勝に進出した。決勝戦では、中京商に 0-4 で敗退した。チームを率いたのは愛媛県出身の近藤兵太郎だったが、エースで 4 番の呉明捷は台湾出身。2 番センターの蘇正生も台湾出身と、日本人と台湾人の選手が力を合わせての快挙だった。
その後嘉義農林は野球強豪校となり巨人、阪神などで活躍し、殿堂入りした呉波(呉昌征)、巨人の外野手でのちに審判になった呉新亨(萩原博)などのプロ野球選手を輩出した。
リトルリーグから人気になる
戦後、中華民国となった台湾では、中南部を中心に社会人野球が行われていたが、1968 年、日本の強豪リトルリーグチームに台湾のチームが勝ってから、少年野球ブームが起こる、台湾は翌 69 年に世界リトルリーグ野球選手権大会で初優勝。以後、屈指の強豪となる。
1980 年代には、大人世代も力をつけ、1984 年のロサンゼルスオリンピックの野球競技(公開競技)では、郭泰源(のち西武)などの活躍で、銅メダルを獲得する。
次に読むべきもの
中日の金丸夢斗、ヤクルトの中村優斗ら侍ジャパンのトップチームに抜擢されたルーキーたちの現在を紹介。故障で出遅れた選手もいるが、期待は依然として大きい。
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