J リーグで挫折した高橋祐治が逆境を克服し、J2 から J1 への転機をつかんだ【インタビュー】
清水エスパルスの DF 高橋祐治は、J リーグでの挫折を乗り越え、J2 から J1 への転機をつかんだ。今回のインタビューでは、高橋がプロとして苦悩した時期や、そこからどのように這い上がったのかを語っている。

高橋祐治のプロキャリア回顧
高橋祐治は、2012 年に京都サンガ F.C.の下部組織から昇格し、プロ入りした。しかし、待っていたのはプロの厚い壁だった。出番を掴めず、苦悩の日々を送ったなかで、ある 1 つのオファーからキャリアは一変。高橋を変えたものとは――。
プロ入り後の苦悩
19 歳でプロになった高橋のキャリアは、決して順風とは言えなかった。夢と希望を膨らませ、J リーガーとしての第一歩を踏み出したが、ルーキーイヤーは出場機会がゼロ。1 年目のシーズン途中には、出場機会を求めてオーストラリア A リーグ・ブリスベン・ロアーへのレンタル移籍を決断。意欲十分で海を渡ったものの、半年間でリーグ戦 4 試合の出場しかなく、契約満了で帰国の途に就く。
J3 での奮闘
ようやく J デビューを果たしたのはプロ 3 年目。2014 年の 3 月、若手選手育成のために J3 所属チームとして設けられた J リーグ・アンダー 22 選抜での FC 琉球戦だった。U-22 選抜としては 11 試合に出場し、計 990 分間プレー。もっとも、若手の強化という名目もあり、即席感の拭えないチームでもあった。成長へ適した環境とは言い難くその年の 9 月、ようやく京都デビューの時が訪れても、出番は終盤の 6 分間のみ。結局、ピッチに立てたのはその 1 試合だけだった。
カマタマーレ讃岐での再起
「プロに上がって数年、全然試合に絡めなかった時期は相当苦しかったですね。正直、サッカー辞めようかなっていうぐらいまでメンタル的に落ち込んだ時期ではありました」
想像以上に高かったプロの壁。「J リーガーとしてやっていけるのか」。そんな不安がよぎっていた高橋に 14 年のオフ、ある 1 つのオファーが舞い込む。当時同じ J2 のカマタマーレ讃岐への期限付き移籍だった。プロで一皮剥けるために実戦機会を求めていた高橋は、2 つ返事で決断。これが 1 つの転機になった。
讃岐へ移籍した 15 年、高橋はリーグ戦で 32 試合に出場。北野誠監督の下、燻り続けていた実力をいかんなく発揮し、心身ともに成長を遂げる。「全然試合に出ていなかったなかで、悪くても我慢して使ってくれたんですよね。この経験がもしなかったら今のサッカー人生はないかなと。感謝の思いは今でもすごくあるんです」。讃岐での 1 年から高橋のキャリアは自身初の J1 挑戦へとつながっていく。