熊野輝光氏、巨人在籍 2 年後にオリックス復帰を熱望も叶わず
阪急時代に新人王に輝いた熊野輝光氏は、巨人移籍後 2 年で復帰を希望しましたが叶わず、その後オリックスに復帰しました。

元阪急・熊野輝光氏、巨人 2 年間在籍後にオリックス復帰
阪急時代に新人王に輝いた実績を持つ熊野輝光氏(四国 IL・香川オリーブガイナーズ監督)は 1994 年から古巣・オリックスに復帰した。1991 年オフにトレードで巨人に移籍して 2 シーズン後の“U ターン”。巨人 2 年目の 2 軍調整中に打撃復調の手応えをつかみ、長嶋茂雄監督に「来年(1994 年)もお願いします」と“直訴”したが、かなわず。コーチ就任を求めるオリックス・井箟重慶球団代表に「何とか選手をやらせてください」とお願いし、選手として戻ったが……。
巨人移籍後の熊野氏は好成績を残せなかった
巨人移籍後の熊野氏は好成績を残せなかった。移籍 2 年目は故障にも見舞われ、8 試合の出場で 5 打数無安打に終わったが、その時の 2 軍調整中に打撃について発見があったという。「ファームでは、ほっといてくれていたので、自分で考えて全部室内で練習ができた。その時になって“バッティングってこうだな”っていうものがやっとわかったんです。バッティング の本質というものをこれまでは理解できていなかったんです」。
バットを内から出すことが打撃の基本
それについて熊野氏はこう説明した。「バットを内から出すこと。インサイドアウトで出すこと。みんなよく言うじゃん。みんなわかっているつもりじゃん。でも実際にやれと言ったら、それができないのよ。でも本来はそれができれば、どこでも打てるんです。内からバットを出していたら、アウトコースでもヘッドさえ返らなければパチンと捉えられる。インコースもそう。悪くてもそうやっていたらファウル。だから何回も勝負できる形にもなる」。速い球でも変化球でも対応可能という。「変化球が来たら、その時はもうひとつ内からグッと力を入れたら、ヘッドスピードが遅くなるから、それで持っていける。そういうヘッドを返さない、インサイドアウトでバットを出すというのが基本なんです。そういうことを常に考えること。それが巨人の 2 年目にわかったんです。もちろん、わかっていても、できる、できないがあるし、これに読みとかいろんなものが重なってくるんですけどね」。
残念ながら 1 軍から声がかからなかった
残念ながら 1 軍から声がかからなかったが「その年の後半にはこれをやっていけば、まだまだやれるなというものはできていた。翌年、もしやらせてくれるなら勝負できるなと思っていました」という。そんな中で浮上したのがオリックス復帰話だった。「井箟さんから“帰ってきてコーチをやれ”って言われました。(阪急 OB の)山田久志さんも呼ぶことになっているんだってね」。打撃復調に手応えをつかんでいただけに現役引退に納得できなかった。